深まりゆく秋

季節は巡ってくる。

暑い夏がようやく終わって秋がやってきた。

過ごしやすい季節は駆け足で過ぎてゆくような気がする。

 

晩秋になり紅葉を楽しみたいところだけど

偶然、出会った美しい木々も

カメラを持っていなかったりして

記憶のなかに埋もれてゆく。

 

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パソコンのなかの昔の画像を開いてみて

季節を楽しむことができた懐かしい日々を想う。

今日は午後から晴れてきて

どこか散歩にでかけたい気分になった。

 

紅葉が美しいときも、あっという間。

もうすぐ冬で木々も葉を落としていく。

ふと旅にでたいなと想う。

 

 

そんなことを考えていたら西行の歌が浮かんできた。

心なき身にもあわれは知られけり鴨立つ沢の秋の夕暮れ

有名な三夕の歌のひとつ。

この歌の解説などは調べればわかるの割愛しよう。

秋のもの悲しさを詠んだ歌はたくさんあるけれど

西行の悟りたいと思っても悟れぬ迷いのようなものは

何だか胸に迫るものがある。

 

迷いつつ生きてる我の眼に映る銀杏の街路樹 秋の夕暮れ

 

時が過ぎて人々の暮らしも変わったけれど

日本人のもののあはれって時代を経てもしっかり

受け継がれているような気がする。

 

 

 

 

 

 

スーパームーン 2016・11・14

今夜はスーパームーン

残念ながら日本列島は雨や曇りのところが多く

ニュースでは青森や秋田など東北地方で撮影された

美しい月が紹介されていた。

 

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これは今夜の月ではないけれど

いつだったか満月の夜に撮影したもの。

月の夜は明るい。東北の夜は68年ぶりの大きな月で

さぞ明るい夜空だろうと想像できる。

 

満月に大きさなんてあるだろうかと思われるかもしれないけれど

ケプラーの第1法則というのがあって

惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。

(楕円軌道の法則がある。)月は地球の衛星であるけれど

やはり地球の周りを楕円で周回している。

要するに月の大きさは変わる。

 

天地明察」という冲方丁の小説があるけれど

この本を読んでいて主人公の渋川春海が月の軌道は楕円だと

理解していく件(くだり)がある。

何だか妙にわくわくドキドキしてしまった。

小説なので、それが事実かどうかはわからないけれど

江戸時代、まだ太陰暦つまり月の満ち欠けの周期で暦が作られた。

楕円軌道であることに気がつかなければ

暦の誤差は修正のしようもない。

 

日本では明治に太陽暦(グレグリオ暦)が使われるようになった。

暦のお話を始めると奥が深いので

今夜は昔は月の暦だったので

日本人は月を見上げて月日の移り変わりを知ったせいか

月にこんなにも愛着を覚えるのだろうかと思った次第です。

 

 

 

 

 

匂い

最近、匂いに敏感になってきたなぁと思う。

 

いつだったか、雨の匂いの正体が知りたくなって調べたことがある。

代表的なのは「ペトリコール」と「ジオスミン」。

調べれば詳しいことはわかるけれど

雨そのものに匂いはないのだろう。

雨が降ることによって、もたらされる匂い。

 

今朝は雨が降っていた。

水にまつわる想いが、ふつふつと沸いてきた。

匂いにまつわることは数限りなくある。

 

 

 

以前、小さな川のほとりで暮らしていたことがある。

小さな橋がかかっていて南から風が吹くと

その橋の上でかすかに潮の匂いがした。

 

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わたしは遠くにあるはずの海を想った。

かもめが羽を休めているのを想像した。

 

 

匂いは何だか心をくすぐるものがある。

日々の生活のなかで何気なくある匂い。

いろいろな記憶と混ざり合って

うれしくなったり悲しくなったりもする。

 

 

天気予報では明日はお天気らしい。

洗濯をしよう。

きっと気持ちよく乾いて、おひさまの匂いがするに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

一日一日を大切に生きていきたい

 大きなというほどでなく、ほんの些細なことではあるけれど、不安を覚えることがある。日々のニュースを見ていると、生きるということは、ごく当たり前のことであるはずなのに、命を終えるかたがいる。まさかという出来事が起こることがある。

 自分の命はこれから先もずっと続くようでいて、思わぬことで消えてしまうかもしれない。それは、わたし自身のことでなく、大切な人だったりするかもしれない。命と誕生と死は日々世界のどこかで絶え間なく続いている。

 

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 ふと今日という一日はとんでもなく幸せな一日かもしれない。明日、突然世界がどうなるというわけではないけれど、一年後の自分というものがどうなっているのか、わからないと思うこともある。

 そんな気持ちになったので、ブログを書いてみようと思う。何気ない一日を書いてみよう。それは、ごくごく平凡なつまらない一日に違いない。でも、そこには確かな時の流れはあるだろう。継続することで季節もうつろうだろう。そして、わたしが死んだあとには、わたしが生きた証のようなものが生まれるかもしれない。

 一日一日を大切に生きていきたい。